東京大学埋蔵文化財調査室



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2016.4.8 理学部1号館V期地点の調査が終了しました。検出された井戸、道路状遺構は、絵図面に記載された「八筋長屋」に伴う施設に比定され、検出遺構と空間構造の詳細な比較検討ができる良好な資料といえます。
2015.5.1 文系総合研究棟地点の調査が終了しました。99年に実施した経済学研究科棟地点に隣接し、加賀藩邸御殿空間に関する遺構が検出されました。
2015.2.27 アカデミックコモンズ地点2次調査および外構調査が終了しました。江戸時代加賀藩邸に関する遺構の他、旧石器時代の石器集中区も検出されました。
2015.3.6 国際イノベーション棟地点略報の調査が終了しました。本地点は富山藩邸の調査で、蝋燭地業による土蔵基礎、土採り穴と推定される深さ約8mに及ぶ巨大遺構など注目される遺構が検出されています。
2015.1.23 安田講堂耐震改修に伴う調査が終了しました。加賀藩邸詰人空間に関する遺構が検出されました。
2014.10.21 クリニカルリサーチセンターA棟1期の調査が終了しました。加賀藩邸、富山藩邸詰人空間に帰属する地下室群、富山藩邸巨大ゴミ穴、馬場趾、古墳時代前期住居などが検出されました。
2014.5.7 アカデミックコモンズ地点の調査が終了しました。石組排水溝、便槽など溶姫御殿に関連する遺構群、18世紀までの詰人居住区に関連する地下室群、17世紀前半の地境溝など、多数の成果が得られました。(2014.4.18)
2012.12.26 「医学部附属病院病棟U期地点」の調査が終了しました。撹乱を大きく受け、遺存状況はよくありませんでしたが、富山藩邸成立以前(寛永16年以前)の加賀藩邸に関する境界施設や、古墳時代前期〜中期の竪穴式住居が検出され、勾玉も出土しました。
2012.12.5 「春日門横総合研究棟(仮称)地点」の調査が終了しました。加賀藩邸南部詰人空間に伴う遺構群、上水道と考えられる木樋埋設溝や、元禄年15年の将軍綱吉御成に関する遺構群が検出されました。
2011.11.22 「工学部3号館地点」の調査が終了しました。育徳園心地池から邸外へ流れる流路が検出され、江戸期を通じ何度も作り替えられていたことが判明しました。また藩邸北域斜面地の土地利用として、巨大採土坑、大規模な段切り、盛り土造成の跡が検出されました。また9世紀の火災住居が検出され、墨書土器が出土しています。
2010.12.2 「法学部3号館中庭増築地点」の調査が終了しました。84年の法学部3号館地点の調査で検出された貸長屋の続きにあたる区域で、それに伴う地下室、井戸、便槽などが検出されました。
2010.12.2 「理学系研究科附属植物園本園(小石川植物園)・売店下水・電気埋設溝地点」の調査が終了しました。薬園、白山御殿に関すると考えられる江戸時代の遺構・遺物と、縄文時代後〜晩期の埋没谷への廃棄と、晩期初頭の住居跡が検出されました。
2010.10.4 「伊藤国際学術研究センター地点」の調査が終了しました。獣骨の一括廃棄など過去の本郷六丁目町屋跡での調査事例とは違った様相が見出されました。
2010.4.6 医学部附属病院立体駐車場地点の調査が完了しました。大半は取り壊し建物による攪乱を受けていますが、地下室など富山藩邸関連遺構が検出されました。
2008.11.10 経済学部学術交流研究棟地点の調査が終了。
文政9年下限の本郷六丁目町屋跡では、生業に関連する地下式麹室や竈跡が、文政10年〜大正15年までの前田邸表門前では近世から近代に至る地境溝など諸施設が検出された。
2008.8.25 医学部附属病院看護師宿舎第3地点の調査が終了。
近代(お雇い外国人宿舎跡)、近世(富山藩邸庭園跡)、古墳(中期集落)、縄文(前期住居址、早期炉穴)、旧石器と重なる複合遺跡であることが明らかになった。
2007.10.11 懐徳門地点の調査終了。
2007.3.30 情報学環・福武ホール地点の2次調査終了
2007.1.10 情報学環・福武ホール地点の1次調査終了。
加賀藩邸域では外周地境溝、大形廃棄土坑、上水溝、本郷六丁目町屋域では麹室、方形土坑などを検出。
また、イルカ、マグロをはじめ、大量の動物遺体が出土した。
2006.5.31 ベンチャープラザ地点の調査終わる。
2005.3.29 地震研究所総合研究棟地点の調査終わる。
近世の建物跡などを検出。